日常ステッキ(転んだ先の知恵)

限りなく偏愛に満ちた音楽、映画、文学、アート、その他日常に感じる素敵な事柄、あるいは事象に関する覚え書

我が家の春の定番セレクション:其の弐

どんどんと春めいてきた。
春は素敵だ。
素敵は春だ。
そんなわけで10枚じゃ収まりきれないほどの春爛漫なので
続編を書いてみよう。

み空/ 金延幸子

日本のジョニ・ミッチェルと呼ばれた幸っちゃんこと
金延幸子の72年リリースの唯一のアルバム。
何しろ細野プロデュースで
バックがティンパンのメンバーが固めているのだから
悪かろうはずはないのだ。
どこか不安ながらも、確かな時代の息吹の詰まった傑作だ。

み空       (紙ジャケット仕様)

み空 (紙ジャケット仕様)

Songs to Remember/ The Scritti Politti

まずはグリーン・ガートサイド率いる、
スクリッティ・ポリッティのファーストアルバムから。
ラフトレードレーベルのカラーであるアコースティックサウンド
新鮮に感じるのは打って変わって打ち込みダンスミュージック
"Cupid & Psyche 85"へと方向転換する前のサウンドだから。
それはそれで悪かないんだけどさ、
ソーダ水のように爽やか明朗なこのこのスクポリが
たまらなく好きなのですよねえ。

Songs To Remember

Songs To Remember

Into the Purple Valley / Ry Cooder

ライクーダーにケチをつける人はいないと思いますが
これだけの巨匠にもなれば、
どのアルバムがいいかは人によって評価が分かれるところでしょう。
そこで、この『紫の峡谷』(原題:Into the Purple Valley)は
言うなればライクーダー入門編として
入り口としてもってこいの名盤なのです。
これを聞けば春とともに
ライ・クーダーの素晴らしさに目覚めることでしょう。

紫の峡谷<紙ジャケット仕様>

紫の峡谷<紙ジャケット仕様>

IdlewildEverything But The Girl

ベンワットとトレーシーソーンからなる
ネオアコブームの風に乗り颯爽と現れたEBTGも
時代とともに音楽性も多様化して
今や大御所の域にまできた感があるけど
僕にとっては八十年代の空気感満載のこの頃が未だ大好きなのです。
この辺りはどれも甲乙つけがたい名作ぞろいなんだけれど
一枚だけと言われたらやはりこれを選びますね。
希望と切なさの入り混じった「 Apron Strings 」で終わる
この哀愁の余韻がたまりません。

Idlewild

Idlewild

ぼくらの空気公団/ 空気公団

空気公団と言うネーミングが素敵で
『融』と言うデビューアルバムを聞いて以来
ずっと彼らの音が好きでした。
残念ながら解散してしまったのだけれど
いいバンドだったことは曲を聴けばわかることです。
東京と言う街の空気を醸した音楽という意味で
春の東京の街にぴったり寄り添う音楽だと思います。

ぼくらの空気公団

ぼくらの空気公団

Domingo / COSTA,GAL VELOSO

MBPを含むトロピカリズモの雄カエタノの初期代表作にして
名盤の誉れ高きアルバム。
ガルコスタとの共作アルバムとして製作された
のちに多様なアルバムを発表し続けるカエタノの
純粋なボッサアルバムとして初期の貴重な瑞々しさに溢れている。
ちなみにドミンゴとはポルトガル語で日曜日のこと
休日の昼下がりにぴったりの楽観的なトーンが心地よいアルバム。

ドミンゴ

ドミンゴ

ただいま。:矢野顕子

春と言えばこの曲がどうしても聴きたくなる。
糸井重里ーアッコちゃんラインの最大のヒット曲「春咲小紅」を収録する
このアルバムを上げておこう。
当然YMOのメンバーも参加しているので
その影響下にあるのだが、やはりあの歌は誰にも真似できない。
日本のポップミュージック界の国宝の一人だ。
元祖ヘタウマのイラストレーター兼デザイナーの湯村輝彦
ジャケットも懐かしい時代の空気を伝えている。

ただいま。(紙ジャケット仕様)

ただいま。(紙ジャケット仕様)

Lookout for Hope :Bill Frisell

好きなギタリストは言われれば間違いなくこの人を挙げる、
ビル・フリーゼルの浮遊感のあるギターサウンド
まさに春の大気の霞のように独特の音色で
聴くものを魅了する。
カントリーからジャズ、ロック、映画音楽など
様々なジャンルで活躍し、多くのアルバムがある中で
ECMからリリースされたこのアルバムから
入ったので、思い入れがあるのです。

Lookout for Hope: Touchstones Series (Dig)

Lookout for Hope: Touchstones Series (Dig)

Stranded:ROXY MUSIC

ブライアン・イーノ脱退、ロキシーの3rdアルバム。
高校生の頃一番最初に買ったロキシーミュージックのアルバムがこれだった。
フランス語を交え、その名もヨーロピアンの哀愁満載
「A SONG FOR EUROPE」のアンディマッケイの泣きのサックス
「AMAZONA」のフィル・マンザネラの派手なギターワーク
「Mother OF Pearl」の展開の面白さ。
全体的な楽曲の良さが際立った名盤。

ストランデッド(紙ジャケット仕様)

ストランデッド(紙ジャケット仕様)

Segundo:Juana Molina

フォークトロニカなんて言われ方をする
アルゼンチンの鬼才ファナモリーナ嬢の2000年のアルバム
セグンドとはスペイン語でセカンド、
つまりはセカンドアルバムである。
エレクトロニカとアコースティックの融合。
前衛すぎず、素朴すぎず
バランス感覚絶妙の一枚。
アルゼンチンの草原パンパにたなびく風に乗って
届けられるそんな瑞々しさに春を感じます。

Segundo

Segundo

我が家の春の定番セレクション:其の壱

春のうららかな陽射しのもとで聴く音楽は、
けっこうたくさんあって、よりどりみどりなんだけれども
そうはいってもタイトルに『春』が含まれようが
春のイメージでつくられていようが、
自分の感性にそぐわないものを
あえて聴きたいとは思わない。
なので、独断に満ちた春の選曲、
ならびにアルバムコレクションをここに列挙していこうと思う

風街ろまん/ はっぴいえんど

季節関連の曲がなんとなく多い気がしているのが
日本語ロックのルーツ「はっぴいえんど」で
やはり、春といえば真っ先に聴きたくなる。
というか年がら年中聴いている気がするけれど
さて、どのアルバムを選ぶか、普通にいえばこれしかない。
あまりにもベタすぎるが、これはしょうがない。

風街ろまん

風街ろまん

リラのホテル/ かしぶち哲郎

矢野顕子との共同プロデュース作品
いまは亡き元ムーンライダースかしぶち哲郎さんの1983年のソロアルバム。
まばゆいなかにもアンニュイで気だるいムードがあり、
どちらかといえば、品の良いヨーロピアンな雰囲気がすれるけれど、
少し前の日本が有していた格式のような、凛とした佇まいを感じさせる名盤。
ムーンライダースのアルバムよりよく聴いている。

リラのホテル(紙ジャケット仕様)

リラのホテル(紙ジャケット仕様)

PUZZLE / TAHITI80

フランスのノルマンディー出身のグザヴィエが結成した
フレンチなまりの英語が心をくすぐる軽快なポップミュージック。
小山田圭吾の選曲したコンピレーションに収録されたことから
日本で火がついた渋谷系フランス支店のムードはまさに春にふさわしい。
天気のいい日にはよく「HEARTBEAT」が頭の中に鳴っている。

What,Me worry? ボク大丈夫 / 高橋幸宏

数あるユキヒロ氏の名盤のなかで、
昔からよく聞いているアルバム。
YMO〜80年代のニューウェーブな雰囲気が色濃く反映されるなか
メロディーメイカーとしての才能はこの頃から健在。
英語のタイトルも大好きな一枚。

ボク、大丈夫?

ボク、大丈夫?

Charlie Rouse / BOSSA NOVA BACCHANAL

ハード・バップ・サックス奏者ということらしいけど
このアルバムぐらいしか聴いたことがない
テナーサキソフォニスト、チャーリー・ラウズの
1962年のブルーノートからリリースされたアルバム。
さすがにセロニアス・モンクのグループでもまれていただけに
そのあたりのモダンな香りがボッサの軽妙なリズム感にのって
ご機嫌かつリラックスさせてくれる名盤。

ボサ・ノヴァ・バッカナル (紙ジャケット仕様)

ボサ・ノヴァ・バッカナル (紙ジャケット仕様)

The Bird & the Bee / The Bird & the Bee

リトル・フィートローウェル・ジョージの娘さんイナラ・ジョージ。
そんな血筋からすると意外なエレクトロニカ路線だけれど
これはこれで不思議な浮遊感があり、はまってしまう。
牧歌的な中にキラリ光る音楽センスはさすがローウェルの娘だけある。
この他、ホール&オーツのトリビュート盤も素晴らしいんだよな。
リトル・フィートの曲をやらないのかな?

ザ・バード・アンド・ザ・ビー

ザ・バード・アンド・ザ・ビー

  • アーティスト: ザ・バード&ザ・ビー,イナラ・ジョージ
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エンド・オブ・エイシア :坂本龍一+ダンスリー

実を言うと中世ルネサンス期の音楽が好きだったりするのだが
あまりコアなアルバムをわざわざ紹介する気にはなれない。
そんな時に、やっぱし、世界の坂本教授は頼りになる。
古楽集団ダンスリーが教授の80年代の名曲を古楽アレンジする
優雅なタイムスリップで中世への旅も悪くはない。
教授の懐の広さを思い知らされる一枚。

エンド・オブ・エイシア

エンド・オブ・エイシア

Nouvelle Vague:Nouvelle Vague

フランス人のマルチプレーヤー、プロデューサーのマーク・コリンと
その相棒オリバー・リボーからなる
1980年代のニューウェイブオルタナ系の名曲を
ボサノバ風テイストにアレンジするユニットNouvelle Vague。
まずはジョイ・ディヴィジョン涙の名曲"Love Will Tear Us Apart." から始まり
鷲掴みにされてしまう。
デペッシュ・モードXTC、キュアーなんかはわかるとしても
タキシードムーンやらデッド・ケネディーズ、ジョゼフKなど
選曲が誠に渋すぎる。
PILの「This is not Love Somg」のアレンジにはびっくり。
とにかくニューウェイブで育った世代にはたまりませんね。
大ヒットしたアルバムで、続編もどんどん製作されているが
アンナ・カリーナのジャケットと言うことで
この2ndをひとまず取り上げておこう。

Nouvelle Vague

Nouvelle Vague

野生の思考:菊地成孔とぺぺ・トルメント・アスカラール

現代音楽にしては甘すぎるし、ラウンジにしては刺激的すぎる。
ジャンルはともかくとして、このムードには
春の夜更けに傾けるワイングラスなどが似合うかもしれない。
何も春は昼だけのものでもない。
夜には夜の享楽があっていい。
なんならお好きなエクリチュールのお供でも構わない。
ゴダールの『はなればなれ』から細野晴臣の『Femme Fatale』まで
部屋の空気を一変してしまう菊地マジックを堪能あれ。

野生の思考

野生の思考

yanokamiyanokami

アッコちゃんとレイくんのそれぞれのアルバムで
どうしても入れたいアルバムがあるんだけれど
ここでは、二人のプロジェクトであるヤノカミ
取り上げておきましょう。
説明は不要だと思う。
特に季節感があると言うわけではないけど
エレクトロニカと歌物の見事な融合がここにありましょう。

yanokami

yanokami

結局僕はYMOチルドレンだというだけのことかもしれない。
でも本当のことだからしょうがないよね。

春のまばゆい陽射しには青春プレイバッカーな僕が降りてくる

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小さな恋のメロディ 1971

初めて見た映画はなんだったろう?
そんな思いが時々ふと頭をよぎってくる。
今みたいに動画で映画を好きに見れるでもなし、
かといって、育った町に名画座があったでもなし、
むろん、映画なんかに目覚めてはいないわけだし
せいぜいテレビドラマ程度で一喜一憂するぐらいが関の山。
こんなに面白くって、こんな素敵な魔法のメカニズムを
スルーして生きていた素朴すぎた少年には
そんなこと、知り得るわけもないのでした。。。

いやね、両親はからきし非文化人間だったし
本当に文化不毛な環境に育ってきたから
ある意味、その反動から今日に至っているのだが、
昔は、娯楽というとテレビぐらいしかなくって、
そのテレビの日曜洋画劇場だったっけか、
そんなのでしか映画に触れられなかった時代だった。
そこで見た映画でさえ、熱く語り得ないほど
ただ漠然と見ていたのが、今思えば残念だれども
逆に変な先入観、つまり映画への固定観念もなく
のちのヌーヴェル・ヴァーグ体験や
実験映画ばかり見まくったり、
日本映画再発見へと辿り着いたり、
そういった真の映画体験にたどり着いたのは
むしろ、最初の不毛な時代があったからなんだと
最近は思えるようになってきた。

さて、話を戻そう。
日曜洋画劇場淀川長治のあの解説は
子供ながらに好きだった。
映画愛があった。
「さよなら、さよなら、さよなら」と結ばれるエンディングを含めて
それが唯一の映画に触れる時間だった。
あるいは水野晴郎水曜ロードショー
そんな中でおそらく『禁じられた遊び』が
初めての映画体験だったように思う。
思わず泣いてしまった記憶だけが
今胸にしまわれているが
おそらく、今見ても新たな感動があるだろう。
以後、子役ものがなんとなく好きだという
刷り込みができてしまっているのは
この体験によるといっていいかもしれない。

でも今日はその子役の話をしたいわけじゃない。
禁じられた遊び』についても、そこまで熱くは語れない。
話が唐突になるが、
やはり、そのころに見た映画では何と言っても
永遠の名作とされる『小さな恋のメロディ』だ。
マーク・レスターとトレーシー・ハイド
なんどもなんども“あの人はいま”のような番組で
大人になった二人を取り上げていたけれど
そんなことにはさほど感動しなかった。

とにかく、あの映画が全てだった。
「12歳の細胞に流れこんだまま抜け切れちゃいない」
ブランキーの曲『小さな恋のメロディ』で
ベンジーが歌う気持ちはよくわかる。

何も知らない田舎町の少年にとって、
あんなロマンチックで
あんな胸キュンな時間はなかったもの。
僕がいまだにイギリスという異国への憧憬を
どうしてもぬぐい去れないのは、
おそらくこの映画体験があったからだと思っている。

この映画がアメリカでは見向きもされず
本国イギリスでさえ酷評されていた時に
日本で大ヒットしたという経緯からも、
日本人の感性に訴えかける情緒があったんだと思う。
僕はあえて、そんな日本人の感性を
素直に素敵だと思っている。
そしてそれを自分の中にも感じている。
世の中、理屈だけで割り切れるもんじゃないし
小難しいものが高尚で、価値があるとか、
やきらびやかなもの、華やかというだけで
気を引いたりチヤホヤされたりするけれど
それだけが全てじゃない。

あの教室で、別にマーク・レスターになれなくても
二人のそばにいたいと思わせてくれただけで十分だった。
ふわふわとその思いが消えずにいるのは幸せなことだ。
あのラストシーン、
マーク・レスターとトレーシー・ハイドが
ロッコで向かった先のことが
現在進行形で埃すらかぶらずにこうしてまだ焼き付いている。

だから、どこがどういいのか、
なんてことをここでだらだらと書いて
わざわざ“青春プレイバック”しなくても
小さな恋のメロディ』が好きだというだけで
その気持ちは十分に伝わるにちがいない。
そんな映画体験に感謝している。

ビー・ジーズのサントラもいいんだよね。

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小さな恋のメロディ ― オリジナル・サウンドトラック

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アート版モテる男としての魅力マックスとは?

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MAX ERNST 1891-1976

今、空前のバンドブームなのかどうかはさておき
十代の男の子がバンドをやる大抵の理由は
ズバリ、女の子にモテたいが故だというのは
何も今更ここで強調することもない定説であろう。
だから、音楽はこれから先も人類が滅びない限りにおいては
決して衰退する心配はないだろう。

とまあ、ここでそんな妙なことを結論付けたいわけじゃない。
20世紀の重要な芸術運動だったシュルレアリスム
およびダダイズムたちは随分と難解なことをやっていたわりには、
随分と女性にモテた。

だから、これから時代はシュルレアリスムだ、
ダダイズムだ、とはならないところがミソなのだが、
ちょっと待っていただきたい。
それこそ、ピカソなどは最たる人物だったが
ピカソと並ぶ20世紀の重要なアーティスト、
マックス・エルンストもその道にかけては負けてはいない。

ドイツのケルン近郊のブリュールに生まれた
ドイツ人の画家エルンストは、
美術史家のルイーズ・シュトラウスをはじめとして、
一番長く最後まで関係の継続したドロテア・タニングに至るまで、
知っているだけでも6人の女性と結婚しているほど
恋多き芸術家として、
生涯に渡って女性はそのインスピレーションの源泉であ理続けた。

もっともブルトンをはじめとしてシュルレアリストたちが、
多かれ少なかれミューズとして崇拝していたのとは違って、
このエルンストを取り巻く女性たちは
概ね、エルンストの絵画に置ける父性的な魔力に
街灯を求めて集まってくる蛾のように
吸い寄せらていったというのが伝説として流布している。

レオノール・フィニレオノーラ・カリントン
あるいはドロテア・タニングといった
錚々たる女流シュルレアリストの画家たちは
あたかもエルンストの元であの個性的な創造的絵画を育んでいくのであった。

そんなエルンストの最大の功績は
何と言ってもコラージュとフロッタージュである。
コラージュというのは一見なんの脈略もない
バラバラの素材を一同に集めて新たな世界を構築する、
いわば既成の秩序を破壊するシュルレアリスムの概念として、
エルンスト自身がその活路を見出した技法である。
とりわけ「百頭女」や『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』
あるいは『慈善習慣』といった
物語とコラージュを融合させたコラージュ・ロマンシリーズにおいて
そのイマージュの力が遺憾無く発揮された。

またフロッタージュとは、でこぼこした物の上に置いた紙を、
鉛筆などでフロッテ(こする)することで
その形状を写しとる手法である。
そうした手法で、幻想的な絵画を創作したエルンストが
ダダイストの旗手として後世に名を残すのは
無意識下のイメージを絵を通じて表出せしめんとして
圧倒的なまでに独創的な世界観を残したからである。

小さい頃、はしかにかかったエルンスト自身が
熱に浮かされ仰ぎ見る天井の羽目板の木目に
何やら様々な幻覚にとらわれ
それを絵画的に発展させたものがフロッタージュのことの始まりで
以後エルンストの代表的な絵画に多く見られた。

これは誰にも経験があることだが、
壁の染みや木目模様が人の顔に見えたり
様々なものに感じたりする、幻覚のようなものである。
それを表現として取り込んでいったのである。

また、十代の頃に飼っていたインコが死ぬのと同時に
入れ替わるようにして妹が誕生したことも
少年マックスのイマジネーションを大いに刺激したのであった。
妹はその精気を取って代わるかのように、
鳥の生まれとして彼の重要なモチーフ
怪鳥ロプロプとしてのちの絵画にしばし登場するほどである。

こうしたエルンストの作品を改めて見直す時、
いっこうに古びない確かな精気のようなものを
半永久的に醸し続けているのは
エルンストが絵に吹き込んだ精神性の力そのものだといっていい。

それらは今日のCDアートやデジタルテクニックを
いかに駆使しても表現しえない、
深遠なる世界観、絵画的宇宙として
追随を許さないオリジナリティを今尚放ち続けている。

それは今日音楽と言う媒体に置いても
リミックスやサウンドコラージュといった
一つのジャンルとして確立されており、
いみじくもケルンを拠点に
トラウトロックの重鎮カンのリーダーとして活躍し
すでに他界してしまったが
音響の魔術師、ドイツのホルガー・シューカイにも
脈々と受け継がれているのは何も偶然ではないだろう。
エルンストが試みた異空間でのイマージュの邂逅は
ホルガーが多用したラジオコラージュを中心とする
テープによるサウンドコラージュにも通底しているものである。

つまりは20世紀初頭の芸術運動が
かような展開で、絵画のみならず
文学や音楽といった異種メディアにおいて拡張され、
そのイマージュの構築がなされている事実を見るだけでも、
このエルンストの功績もまた、
あのピカソに負けず劣らぬ影響力を持っていることがわかるはずだ。

青年たちよ、女にモテるための方法なんて、
何も音楽だけではないことを、ここに知って欲しい。

共感度ゼロ感覚に寄り添うもの

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彼女がその名を知らない鳥たち

彼女がその名を知らない鳥たち』という映画を
なんの思入れもなく見たのだが、
ハッピーエンドでもなければ
決して爽やかな話でもなく、
むしろそのキャッチコピーにあるように
どこまでも“共感度ゼロ”映画として見ていたはずなのに
見終わった後の余韻がじんわりと持続する
言うなれば、“騙されたような気分がする映画”である。

のっけから関西弁を悠長に話す蒼井優の演技に、
もっていかれる感じがあった。
そのあまりのあからさまな負のフェミニズムを、
見事に演じきっている姿に驚かされる。

それはいままでの蒼井優という女優への認識には
全くなかった確かな演技力を感じた。
そんな嫌みで高飛車なオンナとは反対に、
情け無いが一途に惚れて尽くす男阿部サダヲ
これまたまた良いのだ。
建築現場で肉体労働を強いられ、
とても女縁があるとも思えないほどの中年男を演じ、
不潔感、粗野感をこれ見よがしに滲み出しながらも、
ただただ若くて可愛い女を手にした生活を
なんとか維持しようと健気に奮闘する姿を、
あたかもこの人の為に台本が書かれたかのような
そんな絶妙なキャスティングとして捉えてみると
妙に感動的な思いが込み上げてくる。

ちなみに原作の沼田まほかるという作家のことは
全く知らなかったし、
今尚原作自体になんの情報も持っていない。

この映画では、竹野内豊松坂桃李と言った
日本映画界を彩るイケメン人気俳優たちが
見事なまでのダメ男というのか、
昨今の言葉で言うならゲスというのか
とにかく酷い人格者たちをそれぞれに演じており、
確かに、男として誰ひとり肩入れしたいキャラなど
存在しないといっていい。
だが、阿部サダヲ演じるジンジの
あのラストシーンを見てしまえば、
その思いはいつしか愛おしいものへと変わり、
全てがその伏線であったことを受けいれざるをえず
初めてそれら存在の悪どさ、嫌悪感に
多少の物足りなささえ感じるに至るのであった。

だから、この映画の主人公の対象として
十和子なのかシンジなのか、
フォーカス次第で映画に対しての思いは
自ずと変わってくるのはいうまでもない。

不機嫌でエゴイストで
決して現実を直視できない女十和子が、
その愛おしい存在を初めて認識したとき、
スクリーンには無数の名のない鳥たちに占拠される。
どうしようもない底辺にいるその存在が
その命と引き換えに運命を決するとき
彼女の琴線がはじめて揺れた瞬間が
無数の鳥達のはばたきに託されでもしたかのような
感動的なラストシーンを呼び込んで終わる。

所詮、男などこの鳥たちのように、
容姿がどうであれ、五十歩百歩の存在であり、
それに引っかかる女がいて成り立つわけで、
何も下衆な男女にいちいち目くじら立てなくていいのだ。

この監督が目を向けたのが、
人間というものの上部だけの品性や体裁ではなく、
誰しもがかかえ持つダークな面に
正面から向き合っての映画作りを試みた
その資質にこそ大いにそそられたのである。

さすがに満点こそ付けないが、
最近見た日本映画という括りでいうと、
久々にいい作品を見せてもらった。
そしてこの白石和彌という映画作家
自分のなかで俄然気になり始めている。

音と映像のシンクロスインギング

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ベイビー・ドライバー

昨日“宅録”の記事を書いたついでに
ある映画のことをふと思い返していた。
カセットテープに、人の声や音を採集するのが好きな
ご機嫌なトラックメーカーでもある逃がし屋ベイビー。
実は耳に障害があり、
音楽なしでは日常生活がままならない。
その名も『ベイビー・ドライバー』について、
監督がエドガー・ライトというイギリス人ということ以外、
なんの情報もなく、劇場で観たのだが、
音楽の使い方が一味二味違っている、
ちょっとしたカルチャーショックを受けるぐらい
興奮を醒めやらぬ映画だった。

始まってからの約5分間のカーチェイスだけでも
映画を見る価値はあると思う。
ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンの『Belle bottom』が乗っかって展開する、
あの音と映像の見事なまでのスリリングなシンクロは
これまで観た映画の概念を一変させるぐらい
強烈なインパクトがある。

ストーリーも、なかなかよくできていて、
最近のアメリカ映画もなかなかやるなあ、
益々日本映画が貧しく思えてくるよ、
などと、そんな風に思ってみていたのだが、
監督はアメリカ人ではなくイギリス人だった。
どおりで音楽のセンスがいいと思った。

T・Rexの「Debra」使うセンス。
あるいはQueenの「Brighton Rock」。
もちろん『Bohemian Rhapsody』以前の話だ。
ダニー・ボイルの『トレインスポッティング』よりは、
エドガー・ライトの方にセンスを感じるし、
個人的にこちらの方が断然好みだ。
それは究極のエーターテイメントと言っていいが、
もちろんそれだけではない。
イケメンでベビーフェイスな主人公、
ベイビー役アンセル・エルゴートもなかなかいい。

とにかく、五感の刺激が半端なく、
アドレナリンが放出される感覚が如実に体感でき、
途中何度もエクスタシーを感じて
かなり気持ちがハイになることが実証された。
こんな映画体験は今まであっただろうか?

どちらかといえば、
ライブを観ににいって覚える興奮に近いのかもしれない。
ドライバーというか、“逃がし屋”というか、
ベイビー自体が背負っているトラウマ、
過去の出来事がドラマの演出上不可欠な要素である。
そこから音の重要性を必然とする映画になっている。
あえて、ストーリーは追わないが、
冒頭のカーアクションから最後の投降シーンに至るまで、行き着く島もない展開で見応え満載、
それを音響設備バッチリの劇場で観れたから、
サイコーの映画体験の一つとして今尚鮮明に焼き付いている。

何しろ今まで味わったことのない体験だったもので、
うまく言葉で説明するのが野暮ったく感じられるほどだ。
ジャンル的でいうと、『アメリカンニューシネマ』と言うジャンルになるのかどうかはさておき
これまでなら、あまりピンとはこない映画に属していたはずの
この『ベイビードライバー』を観たことは
これまでの映画体験を根底から揺るがす、
ひとつの大事件というわけだった。

こうしてみれば、たけしの『アウトレイジ』なんかは
ちょっと霞んでしまうほどのエンタメ性がある。
アウトレイジ』は『アウトレイジ』で
悪くはないけれど、スケールという意味では及ばない。

ただ、これを自分のなかに持ち帰って吟味してみても、
果たして好きな映画のひとつに加えていいものかどうか、
迷うところがある。

それは何だろうか?
重さもなければ、さほど深みもないのに、
それでいて、ここまで虜になってしまう映画、
それを素直にハイと言えない感覚。

言葉がうまく見つかりそうもないけれど、
映像と音響の見事な一体感とそのセンスに
映画を超えた何かを感じ興奮させられた事実は
揺るぎがない。
とは言え、それは果たして映画としての魅力だったのだろうか?

強いていうなら、
この作品はちょっとばかり未来に行きすぎていたのかもしれない、
そんな思いがしているほどだ。

仮に音楽抜きで考えた時に
あれほどまでに興奮したかどうか。
その一歩手前なら、自分の心地よいテリトリーにあり、
いい映画だったと完結できていたのかもしれないが、
勢いあまって行き過ぎてしまい、
まっ、いっかと戻ってくるような感覚に似ている。
要するになんらかの前提を元に話し始めることになる
そんな映画である。

その意味で、これを勇気をもって
自分の中の偏愛的映画史に堂々と位置づけることの出来ない僕は
頭の硬いシネフィルもどきか
まだまだ甘ちょろい単なる映画好き人間
どちらかなのかもしれない。
ベイビーが、最後の仕事にノーと言えなかったような、
なんとなく気まずい想いというのが少なからずある。
そんな感覚を昂揚したあとの熱の残り香に
一抹の気まずさとして残ってしまった気分である。

とは言え、この映画で特筆すべきことは
ウォークマン世代に向けて作られた
音楽好きへの真のリスペクトが多分に盛り込まれており、
そうした思いが根底に感じられたことは
紛れもない事実としてあるし、音楽ファンとしても嬉しかった。

すでに続編の撮影も視野に入っているというから
今からその完成、公開が待ち遠しいところだが、
その続編では、その辺りのことを確かめてみたいと思う。
やはり映画には映画としての魅力がないと
二匹目のドジョウとはいかないものだから。
シナリオなのか、演技なのか、演出なのか?
その意味ではエドガー・ライトという監督の評価を含め、
この映画の真の評価は次作に持ち越したいと思っている。

えーの、えーの、元祖宅録文化の祖イーノ先生の話

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Brian Eno

音楽が、今のようにダウンロード配信でも
また、ストリーミングでもなく、
そう、CDすらない時代に、
僕ら、音楽に魅せられたエイジたちは、
SONYだのmaxellだのTDKだののカセットテープを、
それこそパックでまるごと買ってきて、
レコードなりラジオから流れてくる音楽を、
その時間分に合わせて、
できるだけ無駄がないように工夫しながら録音に精を出し
それを再びラジカセやらウォークマン
再生して喜んでいたものでした。

当然、テープだから聞きすぎればすり切れるし、
部屋が暑すぎればだらり伸びてしまうわけなのよ。
いやあ、それからの時代の変遷ったら
凄まじいものがありまするなあ。
メディア自体、MD、ADAT、CDR、DVD
ダウンロード、ストリーミングまで、
なんとも目覚ましき進化だと思いますね。

自分は単に一音楽ファンでもあったのだけど、
同時に宅録少年でもありました。
当然宅録といっても、デジタル以前の4chのレコーダーで、
ピンポン録音という手法をとっておりましたっけね。

まずはハードとしては、
フォステックスの4chマルチトラック・レコーダーなるものを買い、
メタルテープへ多重録音を日々繰り返しておりました。
トリガーなどで同期させてのピンポン録音が
実に楽しゅうございましたなあ。
(その後MIDIが出てきたのです)

これはその当時、
元プラスティックスやメロンというバンドで活躍した
西利夫が発行していたカセットマガジン「TRA」に
推奨されていたからで、
迷わず、こづかいを貯め投入したものでした。
その前には、すでに安いベースとアンプぐらいは買い揃えており、
バンドを夢みて、ひとり部屋でレコードに合わせ
練習に明け暮れる日々が続いておりましたが、
それだけでは飽き足らず、楽器屋へ足繁く通いつめ
コルグやらローランドのシンセ、サンプラーなどを
次々に買い込み
何を勘違いしたか、曲作りなどを始めるに至り、
といっても、音楽的素養はズブの素人もいいところで、
音楽的な知識さえままならず、
何しろ楽譜など読めない音楽音痴
いわばオタマジャクシのいる池か何かのごとく
トンチンカンぶりで、
はて、どうやって曲なんぞ作るのか、ってなありさま。
頼るものは耳しかない、そんな時代ですよ。

いやあ、これを身の程知らずと言わずして、
何が身の程知らずか、というなかで、
ある日、見知らぬ“後光”が差してきたのです。

楽器なんて出来なくても音楽なんてものは作れるんだよ”。

このお言葉がいかに有難いものだったか。
それはまさに神の啓示ともいうべきものでありました。
これこそは、麗しき麗人から俗世の緑世界を開拓した、
ブライアン・イーノ大教祖様その人の声だったのです。

スタジオそのものを楽器として捉える、
そういったプロセスの画期的な黎明期がここにあるのです。
実際に、イーノはその信念から今日まで至っており、
言わずと知れたポップミュージック〜実験音楽界の
イオニア、カリスマなのですから。

元はというと、イギリスのアートスクール出身の、
奇抜なグラムロック的なケバい麗人として、
ロキシーミュージック初期メンバーに名を連ねたあと、
一転、環境音楽の父と呼ばれ、
それと並行して、ミュージシャンズミュージシャンとして、
ボウイからトーキング・ヘッズ、ディーボ、U2、
近年ではコールドプレイなどに至るまで
引っ張りだこのプロデュース業に勤しんではいたものの、
なんと言っても実験的ポップの開祖として
輝かしい歴史を作って来た人物なのです。

その成果は、アンビエントシリーズ以前の
各ソロアルバムにしっかりと刻印されているので、
今聞いてもなかなか刺激的なのですが、
いわゆる参加ミュージシャンたちのメンツが凄すぎて、
いわゆるオタクによるオタク的な作品には
到底思えない仕上がりになっているから、
自分が試みていた宅録と同じ目線で語っていいのか、
そこはなんとも言えませんけれど、
イーノ先生なくして、わたくしの宅録生活はなかったのです。

単に宅録少年のバイブルとして考えるとしたら、
リチャード・D・ジェームスこと、
 Aphex Twinあたりの方が最適なのかもしれません。
が、ここでは方法論のことを重要視して、
そうした表層的な話はスルー致しましょう。

やはり歴史的な作品は『Another Green World』から始まった、
といっても過言ではありません。
先の『Taking Tiger Mountain』や『Before and After Science』も
比べようもなく素晴らしいのですが、
多くのミュージシャンたちに多大な影響を与えたという意味では、
この『Another Green World』は意の一番に挙げられるべき名盤です。
これが半世紀も前の作品だというだけで驚いてしまいますが、
音質や機材の進歩がいくらめざましく進化したとて、
非ミュージシャンが作り上げたものとは思えない
確固たる豊穣なる音のつづれ織りこそが
聴き続けている理由そのものなのであります。
宅録少年には今尚新鮮かつ、永遠のバイブルであります。

驚異のテクニシャンでジャズロックバンドブランドXのリズム隊、
フィル・コリンズとパーシー・ジョーンズによる
絶妙のコンビネーションが飾る一曲目の『SKY SAW』で
このイーノのスネークギター(こういう命名もいいんだよね)が絡むという、
いきなりのびっくり箱に始まり、
A面最後を飾るのは、盟友ロバート・フリップのフリパトロニックスが眩しい、
イーノ流のロマンチックなポップソング『I'll Come Running』。
(こうしたヘタウマなボーカルも味があるのです)

後半は、のちに確立するアンビエントへの序章となる展開で、
このアルバムはイーノ自身にとっても、
転換期となったのはいうまでもありません。
終曲『Spirits Drifting』などは
のちに明らかに以後の『Music for Airports』に始まる
一連のアンビエントの流れに続いてゆくものです。

このほか、このアルバムが面白いのは
ピーター・シュミットが考案した、
あらかじめ、様々なメッセージカード・を
レコーディングのプロセスに組み込んだことでしょう。

 例えば

Honour thy error as a hidden intention.
「誤りを隠された意図として賞賛するべし」

 というような一説が書かれたカードがあるとしましょう。
それを引いた際に、サウンドの構築にヒントとして活用するわけですね。
もっとも、イメージ力の喚起といったものに過ぎないのですが
テクニカル的な発想ではなく、
文学的な発想として音を多面的に捉える
イーノならではのレコーディングプロセスだと言えのではないでしょうか。
そんな遊び心もレコーディング要素に組み入れる姿勢こそ、
ブライアン・イーノの功績でありましょう。
これはボウイとのベルリン三部作やコールドプレイとの
レコーディングにも活用されたそうです。

それらはアートスクール出身のイーノらしい発想ですが、
その他、ビデオ作品やヴィジュアル作品、
Windows 95」の起動音「The Microsoft Sound」を手がけたりと、
その活動は音楽業界のみならず多大な影響力を持っており、
今世紀、最大に評価されていい音楽家の一人だと思うのです。
ベートーベンやモーツァルト、バッハと同じように、
イーノがその音の歴史に君臨しているのです。

最後に、すでに七十の大台に達した
この偉大な音楽家についてのエピソードについて
触れておきましょう。

ブライアン・ピーター・ジョージ・セント・ジョン・ル・バプティスト・デ・ラ・サール・イーノ
というのが本名で、いかにも只者ではありません。
また、幼い頃、郵便夫だった父親の、
あまりの退屈な日常を見るにつけ、
絶望的な気分になったといい、
そんな思いが少年イーノの原動力となったというのだから
それだけでなんとなく親しみが湧いてくるのです。
イーノの初期ロキシーミュージック在籍時の
あの艶やかないでたちを見れば、その反動がいかなるものだったか、
だいたい想像はつくのですが、
この麗人イーノには、その他、嘘か誠かは知らねども、
一夜で13人もの女を相手にしたという、艶聞もあるぐらいだから、
いやはや、さすがはイーノ先生ここにあり。
そんなエピソードからも只者ではないのが窺い知れましょう。