日常ステッキ(転んだ先の知恵)

限りなく偏愛に満ちた音楽、映画、文学、アート、その他日常に感じる素敵な事柄、あるいは事象に関する覚え書

かつて、ダウンタウンはまさにダウンタウンの寵児であった

    お笑い界の革命児、ダウンタウンの全盛期はとうに過ぎた感は確かにある。あるにはあるが、今なおテレビというメディアで一線で活躍しているところを見ると、やはり、才能というか、他のお笑い芸人とは一線を画す何かを持ち続けているからなんだろうなと思う。

 とはいえ、正直、今のダウンタウンにさほど心動かされることはない。そもそもテレビ番組自体に全く食指が動かなくなっているのだ。かつて、テレビがまだ面白く世間に絶大な影響力を持っていた時代に、ある意味、その可能性を思う存分に出しつくしたこの革命児たちの晩節が、すでに過去に始まっているのか、今なのか、はたまた先なのかという結論を導き出したいとも思わない。ダウンタウンが築いてきた功績を称えつつも、かつて楽しませてもらった事実のなかで、自分が今なお評価し続けているのは、彼らコンビとしての絆の強さから生まれるフリートーク力だ。つまりは、どんな形であれ、自然なノリで笑いのテンションを保つあの能力は、幼なじみであるコンビダウンタウンでしか醸し出せはしないだろう。その意味では、なにもいまさらヤスキヨを意識して漫才復活ののろしをあげよ、とはいわないまでも、最強のコンビで世間をあっと驚かすような面白いことに挑戦してほしいという期待は、まだどこかにある。

 松本人志が映画を撮り始めたとき、果たしてどっちに転ぶのだろうと、つまりは第二の北野武か、はたまた恥の上塗りか、ちょっとだけ気になったのだが、案の定、致命的なほどに才能のなさを知らしめてしまった。だから、というわけではないのだが、そのあたりで、このお笑いの革命児の才能を見限ってしまった。

    フリートークといえば、かつて日テレの息の長い番組『ガキの使いやあらへんで』の名物コーナーであった。ある時から、ばったりとあの絶妙な掛け合いを封印したのは返す返すも残念であったが、そのフリートークのなかで、松本人志が唐突に坂本龍一にプロデュースを依頼して、芸者ガールズとしてCDまで制作し、ニューヨークくんだりまで足を運んでライブまで敢行したあの発想と行動力こそは、まさにコンビとしてのダウンタウンの頂点であった気がする。いくら笑いに寛容でノリのいい教授といえど、そんな安直な発想に、さすがにまともに相手にしないと思いきや、なんとも注目すべき一枚を生み出したのである。そのままニューヨークに飛んでレコーディングした成果が『THE GEISHA GIRLS SHOW - 炎の おっさんアワー』である。

 これは、誤解を恐れず言ってしまえば、いわば、それまでのスネークマンショーやら三宅裕司率いるS.E.T.スーパー・エキセントリック・シアターと言ったお笑いと音楽のコラボをさらに進化させた、まさに世界のサカモトがダウンタウンという才能を巻き込んで彼らをワールドワイドに押し上げた最高にクールな一枚なのである。二人のコンビネーションを受けこれほどハイテンションかつ濃厚に絡み合う、サウンドとお笑いの融合が、これほどまでハイクオリティセンスを保ちながら、絶妙に共存する世界観こそは、まさにダウンタウンの真骨頂だといって過言ではない。そうこのアルバムなりPVを見ると、かつて、ダウンタウンはまさにダウンタウンの寵児であったことが確認できると思うのだ。

 サウンド面はいうまでもなく坂本龍一の希有なプロデュース力(坂本氏のアルバムはソロよりもプロデュース作品の方が好みだ)が遺憾なく発揮されているのはいうまでもない。子どもの頃の尼崎事情をラップにした立て板に水のようなラップ?『Blow Your Mind - 森オッサン チョイチョイ キリキリまい』や粋なブルーズ調に松本ワールドが乗っかった怪作『おいちゃん』。そしてサイモンとガーファンクルばりの名曲『少年』。あるいは狂気すらが明るくふるまわれたボアダムスが絡んだ『NAGOMI まで曲のトラックは、それぞれが素晴らしい出来映えになっているし、『奥さん』や『ステップナー』『Damesska』といった収録コントの出来映えもなかなか秀逸で、初期からのコアなファンには堪らない笑いが提供され、音楽的にもお笑いとしても、どちらからでも十二分に楽しめると思う。

 この傑作が、単にイロモノの一発芸だと片付けられるのは、かつて楽しませてもらったダウンタウンというお笑いの革命児たちを思い起こしながら、返す返すも残念でならないのである。

GEISHA GIRLS SHOW 炎のおっさんアワー